真剣語り場掲示板


様々な話題をみんなで真面目に語り合う場です。
反論、批判は大いに結構ですが、単なる誹謗中傷は削除されます。
暴言と取られないように、言葉を選んで議論してください。
ツリーが大きくなった場合は新しいツリーへ。


※ここはゲイサイトです。

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃投稿順表示 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
780 / 979 ツリー    ←次へ | 前へ→
返信は記事右上のメールマークより匿メールをお使い下さい。
詐欺被害の報告が多発しています。売り専の勧誘、薬物・物品販売などのメールは無視して下さい。
管理人を騙ったメールが送信されていますが、当サイトから警告や通報のメールを送ることはありません。
サポの書き込みはサポ専用掲示板に。18禁、マジメ、写真での募集投稿は削除します。

自由と制約 薬屋シン 07/2/23(金) 11:49
薬屋シンの考え 薬屋シン 07/2/23(金) 12:40
追加 薬屋シン 07/2/23(金) 12:57

自由と制約
 薬屋シン  - 07/2/23(金) 11:49 -
  薬屋でやんす。

 遅くなりましたがはぁ・・・さん(正義の光さん)の提案で、自由について論ずるスレを立てみました。以下のお願いを遵守した方と、意見の交流や、勉強をさせていただければ幸いです。

  1、他人の論を否定すべからず
   もともと生死同様正解のないテーマですので、意見の食い違いがあつても「自分はそうは思いません、こう思います」にとどめておきましょう。

  2、持論を述べない奴論に加わるべからず
   否定やえらさがしならこそ泥でもできます。論に加わるためには、まず「自分はこう思います、具体例としてこのようなことがありました」と、説明を加えましょう。

  3、個人ごとにタイトルをつけるべし
   自分でレスを作って、例えば「自由についての薬屋シンの考え」を題し、そこで自分の意見をまずのべましょう。他の方と交流するときは、「私の意見はどこどこに書きましたが」と一言つけくわえましょう。


  この三点が、本スレにおけるルールですので、板のルールに加えて遵守しない方は、アラシとみなし、論に加えかねます。

引用なし

パスワード


<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@white2.scn-net.ne.jp>
・ツリー全体表示

薬屋シンの考え
 薬屋シン  - 07/2/23(金) 12:40 -
  薬屋でやんす。

  辞書によると「自由」は
「1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「―な時間をもつ」「車を―にあやつる」「―の身」

2 勝手気ままなこと。わがまま。

3 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。

4 法律の範囲内で許容される随意の行為。」と、
  幅広い意味を含んでいることがよんで取れますが、現時点で私が考える自由とは3の意見にもっともちかく、概念的には「徳治」、個人の実現においては「自粛」ということばで表せるかと思います。

  さて、「徳治」とはなにか。ことば自体、道学の道徳経に由来し、私の考えがまじえててしまいますが、言い換えれば「賢人国家」を理想とする考えです。西洋の大哲・プラトンは「哲人国家」を提唱したが、賢人国家の発想はちょうどそれを昇華させたものといえます。かしこい一部の哲人=知識層が、国家をしはいするのでなく、国家の構成員一人一人、自らを戒め、規律ある社会を構成することをめざすのが信条です。

  一見荒唐無稽な話ではありますが、賢人国家には、ちゃんとそれを成立させうるシステムが考案されています。、第一に来るのは「自粛」と思います。法による、他律的社会ではまことの自由を得たといえません。しかし、規律がなければ社会が成り立ちません。そこで、徳治の考えでは、自らを戒めることを、規律の基本としたのです。それを、ここで「自粛」といいます。

  では、他律の法によらない自粛の基準とはなにか。それは「自分が嫌がることを他人にしない」のと、「自分を辱めない」の二点に尽きる。

  自分が嫌がることを他人にしない。これは解説するまでもなく、ポイ捨てされるはいやだからしない、殺されるのはいやだから人を殺さない、盗まれるのがいやだから盗まない。など、文字通りの、人としての基本である。これを守れば、原則的な衝突はまず起きない。

  ならば後者の、自分を辱めないとはどいうことなのか。これは、日本人が大成させたといって過ぎない事柄で「恥じらいの文化」の中核部分であるといえます。即ち、ささいな利益や衝突のために自分の品性をさけないことです。例えば、相手がこそ泥であろうと、それを自認するまで、こちらは真摯な態度で相手をつとめること、そして、こそ泥と認識(他者の指摘と本人の告白)したのち、いかなることでも、相手にしないこと。泥棒の相手は、それと同格か、それ以下に過ぎないと考えたからです。即ち自らの(位)をおもんじること「自重」が、自分を辱めないとはどいうことです。

  私が考える、真の自由とは、外的な束約がなければすべて、なにをしても良いということでなく、他律的な強制こそ掃き捨てるべきで、束縛のない状態から、徳治の思想をもって自らを戒め、自分をはずかしめる行いをせず、自分が嫌がることを他人にしない、完全の自律によるものにあります。

  規律がなければ社会がなりただない、他律的では自由とはいえない。人、一人一人、古人のように品格を重んじてこそ、真の自由と調和が、おとずれるのではないかと考えています。

  徳治は「左ほほをたたかれたら、右ほほをさしだせ」という、無償の愛を唱える思想とは、区別しなければなりません。あくまでも、自律・自重です。

 ぜひ、みなさんの、徳治に対する見解や、ご指摘もおきかせください。

引用なし

パスワード


<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@white2.scn-net.ne.jp>
・ツリー全体表示

追加
 薬屋シン  - 07/2/23(金) 12:57 -
 お告げさんがどこぞでいった「大道外れて仁義あり」はまさにその通り、自律崩れて、他律あり、ですね。

  べんきょうになりました。

引用なし

パスワード


<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@white2.scn-net.ne.jp>
・ツリー全体表示



780 / 979 ツリー    ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃投稿順表示 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
 
ページ:  ┃  記事番号:  

C-BOARD Moyuku v0.99b5