論点から外れるのですが、とても誤解していらっしゃるので、短く意見させていただきます。
僕は、最近クールボーイで「悩み相談」と「真剣語り場」でさまざまな視点から意見を披露しています。
いつか自分のぶざまな人生について私見を披瀝したいと思っていました。
なぜ、周りの者たちがスイスイと進んでゆくところを、自分ひとりだけ転倒するのか?
なぜこんなにも他人とうまいかず、
なぜこんなにも生き方が下手なのか?
要領が悪く、不器用なのか?
なぜこんなにも自分が嫌いなのか?なぜ自分を含めた人間の嫌なところばかり見えてしまうのか?
つまり、なぜこんなにも「生きるのが困難なのか」多くのゲイの仲間たちの
悩み相談を僕と感性・価値観の隔たり多い「真剣語り場」の提言・批評を読んで、
そのひとたちに、ひとつひとつコメントを書いていると、
書けば書くほどその根は深いことがわかり、書けば書くほど憂鬱になることが
わかりました。
にもかかわらずなぜ書くのだろうか
自分を救うため?
それのみではない、 たぶん生きるのが困難な多くのひとに
綺麗ごとではない、
「ほんとうのメッセージ」を送りたいからなのです。
あきれるほど苦労し続けてどうにか生きている僕のような者が生息していることを
知って、
自信をもってもらいたいのです。
逆に私の苦労など、自分の苦しみに比べれば蚊が刺したようなものだとせせら笑う
方々は、心ゆくまでせせら笑ったあとで、その困難に全身で立ち向かってもらいたいのです。
「もういいや」とやけっぱちになる前に、絶望して死のうとする前に
困難な生き方もなかなか味わい深いものだと居直ってもらいたいのです。
自分だけなぜこんなに苦労するのだろう?自分だけなぜこんなに失敗するのだろう?自分だけなぜこんなに嫌われるのだろう?
これらは至極まっとうな問いです。
人間が発する問いのうちで、最も真剣な問いだとさえ僕は思います。
こうした問いを大切に抱えて、ごまかすことなく考え続けてもらいたいのです。
そうすることによって、あなたはきっと自分固有の「人生」のかたちを探りあてる
ことができるんだと思う。
ぶざまな生き方そのことが、あなたにとってかけがえのない「宝」であることがわかると信じます。
恐らく人生は、残酷なほど不平等で、理不尽で、運命に翻弄されるものであるから、
だからこそ、生きることに真剣に取り組んでいただきたいのです。
したがって、僕をふくめて、ひとりの例外もなく、
不幸を自覚しなければならない、 幸福という錯覚に陥ってはならない。
と思うのです。
各人の人生は色とりどりであるし、不幸の色彩もいろとりどりだということです。
かえって、幸福という錯覚に陥りつづけていられる善良な市民(畜群)!脳内お花畑の奇特なひとたちは、自分固有の不幸の「かたち」を鍛える機会を与えられない
からこそ、
ごまかし通して生を駆け抜け、そのまま死んでいくのではないか?